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戦争は知らない・・・ [ささやかな日常]

ずっとずっと 若い頃から
戦争に行った人が怖いって言ってました。

夫と知り合った頃も 「戦争に行った人は怖い。人を殺したから」
と無神経なことを言っていた覚えがあります。

夫は私よりかなり年上なので、おじ様(姑の兄)は戦死しています。
姑が舅と初めて上京して来てくれた時に 一番に行きたい所はどこ?と聞いたら
「靖国神社」と即答でした。
なのに 私はその意味が判らなくて「桜は まだ蕾ですよ~」なんて呑気な返答をしたのでした。

靖国神社のまだ硬い蕾の桜をくぐって本堂に参拝した姑は泣いていました。
「死ぬまでに一度はお兄ちゃんが眠っている靖国にお参りしたかった。」と言って。。。

叔父は ただの農民でした。林業と農業を仕事とする一家の長男でした。
私が会ったことのない厳しい厳格なおじいちゃま の 愛する長男でした。
一人のささやかな人生は 政府の行いの前には 何の力もないただの 命。
叔父が生きていたら そして 私自身の大叔父たちが生きていたら
今の日本を守るために自分達は死んでいったんだと心から誇りに思えるのか・・・

今日 長崎の日に せめて普段は日々の暮らしに埋没していても
先祖たちが命にかけて守ってくれた日本を考えたい。

こんないい加減な私でも 広島 長崎と続く日々を思います。


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ぶるです

私の祖父は、中国へと出兵し、無事帰還した一人です。
小学生の頃、課題で「戦争体験を聞く」というのがあり
祖父に、戦争の事を尋ねると
「そんな事(戦争)は知らんでもええ」と、話してはくれませんでした。
戦地の体験を、祖母や娘(私の母)も私も、
結局、祖父が亡くなるまで、一度も話を聞くことはありませんでした。
祖母、曰く、「余程辛い目にあってきなさってんやろ・・・」と。
祖母は、祖父が帰還したお祝いに、
走り回って、祖父の好物のお刺身を食卓に並べたら、
祖父は、手をつけず、うつむきポロポロと泣き出したそうです。
理由を問うと、「自分だけ・・・」とポツリと言ったそうです。
多くの仲間を亡くして、さぞ辛かったのでしょうか。
あと、水にかなり困ったらしく、水を粗末にしているとよく怒られました。
夏、庭に意味もなく水を撒くと、ひどく怒られた覚えがあります。
何も、話さずとも、戦争というものを教えてくれていたのかもしれません。
そんな、祖父・祖母の思いを私は、子供に教えられるのか疑問です。
広島・長崎。今もって戦争は終わっていないんですものね。
犠牲の上での、平和。
今、一度考えたいと思います。
by ぶるです (2005-08-09 23:47) 

珊瑚

毎年 さださんが広島の日に 長崎で大規模なコンサートを開いています。
豪華メンバーが応援に駆けつけますが 料金は無料です。
さださんの自腹で続けられてきたんですね。
彼自身の体力の問題なのか 今年が最後の「夏・長崎から」になったようです。一度も行ったことなく終了してしまって残念でした。

彼の代表作の『精霊流し』で歌われる主人公は、彼女とボートに乗っているときに流されたオールを取ろうとして 水中に沈みました。彼の従兄弟です。
その母親。つまり彼のおば様が 被爆者でした。
様々な思いを託した歌であり、「夏・長崎から」というコンサートだったんですね。
いろいろなことを語らなくても「広島の日に長崎から歌を発信する。そのことで感じ取って欲しい」と 常々言っていました。
今は実際の戦争であってもどこかリアリティがなくて、空爆のその下で多くの「たった一つの命」が消えて行っている自覚にも欠ける。

知ることも考えることも伝えることも
どこまで自分の中に存在させることが出来るのか?! 私には難しい問題です。
by 珊瑚 (2005-08-10 05:48) 

初めましてです~。
関連記事からきました~。

夫の母は、広島の被爆者です。
私も夫と歳が離れているので、母は終戦時20歳でした。
普通に生活をしていた方が、戦渦に巻き込まれてしまう様を
夫の親戚から伺いました。
本当に悲しいことですよね…。
by (2005-08-10 18:56) 

珊瑚

ひかりこさん こんばんは。

戦争のむごさは、始めた大人たちはもとより、必ず子供たちに被害が及ぶことですよね、、、、それも 大きく!
東京大空襲で 逃げ惑ったというお話を以前伺ったことがありましたが
子供たちの恐怖はどれほどだろうと 想像の域を超えすぎていて
頭が真っ白になりました。

恐ろしいことです。。。哀しいことです。。。ね
by 珊瑚 (2005-08-10 20:31) 

える

さださんの『夏・長崎から』は20回目の来年がファイナルです。
私は昨年初参加、今年は残念ながら行く事が出来なかったのですが、
来年はもう一度あの場所でさださんの唄を聴きたいと思っています。
いつもさださんがおっしゃている『あなたの一番大切な人の笑顔を
どうしたら守ることができるか?』という言葉をかみしめながら…。
by える (2005-08-10 21:48) 

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ずっとずっと 若い頃から
戦争に行った人が怖いって言ってました。

夫と知り合った頃も 「戦争に行った人は怖い。人を殺したから」
と無神経なことを言っていた覚えがあります。

夫は私よりかなり年上なので、おじ様(姑の兄)は戦死しています。
姑が舅と初めて上京して来てくれた時に 一番に行きたい所はどこ?と聞いたら
「靖国神社」と即答でした。
なのに 私はその意味が判らなくて「桜は まだ蕾ですよ~」なんて呑気な返答をしたのでした。

靖国神社のまだ硬い蕾の桜をくぐって本堂に参拝した姑は泣いていました。
「死ぬまでに一度はお兄ちゃんが眠っている靖国にお参りしたかった。」と言って。。。

叔父は ただの農民でした。林業と農業を仕事とする一家の長男でした。
私が会ったことのない厳しい厳格なおじいちゃま の 愛する長男でした。
一人のささやかな人生は 政府の行いの前には 何の力もないただの 命。
叔父が生きていたら そして 私自身の大叔父たちが生きていたら
今の日本を守るために自分達は死んでいったんだと心から誇りに思えるのか・・・

今日 長崎の日に せめて普段は日々の暮らしに埋没していても
先祖たちが命にかけて守ってくれた日本を考えたい。

こんないい加減な私でも 広島 長崎と続く日々を思います。


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ぶるです

私の祖父は、中国へと出兵し、無事帰還した一人です。
小学生の頃、課題で「戦争体験を聞く」というのがあり
祖父に、戦争の事を尋ねると
「そんな事(戦争)は知らんでもええ」と、話してはくれませんでした。
戦地の体験を、祖母や娘(私の母)も私も、
結局、祖父が亡くなるまで、一度も話を聞くことはありませんでした。
祖母、曰く、「余程辛い目にあってきなさってんやろ・・・」と。
祖母は、祖父が帰還したお祝いに、
走り回って、祖父の好物のお刺身を食卓に並べたら、
祖父は、手をつけず、うつむきポロポロと泣き出したそうです。
理由を問うと、「自分だけ・・・」とポツリと言ったそうです。
多くの仲間を亡くして、さぞ辛かったのでしょうか。
あと、水にかなり困ったらしく、水を粗末にしているとよく怒られました。
夏、庭に意味もなく水を撒くと、ひどく怒られた覚えがあります。
何も、話さずとも、戦争というものを教えてくれていたのかもしれません。
そんな、祖父・祖母の思いを私は、子供に教えられるのか疑問です。
広島・長崎。今もって戦争は終わっていないんですものね。
犠牲の上での、平和。
今、一度考えたいと思います。
by ぶるです (2005-08-09 23:47) 

珊瑚

毎年 さださんが広島の日に 長崎で大規模なコンサートを開いています。
豪華メンバーが応援に駆けつけますが 料金は無料です。
さださんの自腹で続けられてきたんですね。
彼自身の体力の問題なのか 今年が最後の「夏・長崎から」になったようです。一度も行ったことなく終了してしまって残念でした。

彼の代表作の『精霊流し』で歌われる主人公は、彼女とボートに乗っているときに流されたオールを取ろうとして 水中に沈みました。彼の従兄弟です。
その母親。つまり彼のおば様が 被爆者でした。
様々な思いを託した歌であり、「夏・長崎から」というコンサートだったんですね。
いろいろなことを語らなくても「広島の日に長崎から歌を発信する。そのことで感じ取って欲しい」と 常々言っていました。
今は実際の戦争であってもどこかリアリティがなくて、空爆のその下で多くの「たった一つの命」が消えて行っている自覚にも欠ける。

知ることも考えることも伝えることも
どこまで自分の中に存在させることが出来るのか?! 私には難しい問題です。
by 珊瑚 (2005-08-10 05:48) 

初めましてです~。
関連記事からきました~。

夫の母は、広島の被爆者です。
私も夫と歳が離れているので、母は終戦時20歳でした。
普通に生活をしていた方が、戦渦に巻き込まれてしまう様を
夫の親戚から伺いました。
本当に悲しいことですよね…。
by (2005-08-10 18:56) 

珊瑚

ひかりこさん こんばんは。

戦争のむごさは、始めた大人たちはもとより、必ず子供たちに被害が及ぶことですよね、、、、それも 大きく!
東京大空襲で 逃げ惑ったというお話を以前伺ったことがありましたが
子供たちの恐怖はどれほどだろうと 想像の域を超えすぎていて
頭が真っ白になりました。

恐ろしいことです。。。哀しいことです。。。ね
by 珊瑚 (2005-08-10 20:31) 

える

さださんの『夏・長崎から』は20回目の来年がファイナルです。
私は昨年初参加、今年は残念ながら行く事が出来なかったのですが、
来年はもう一度あの場所でさださんの唄を聴きたいと思っています。
いつもさださんがおっしゃている『あなたの一番大切な人の笑顔を
どうしたら守ることができるか?』という言葉をかみしめながら…。
by える (2005-08-10 21:48) 

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