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テレーズという女 [ささやかな日常]

先日来、「この本を読まなくてはならない」という強迫観念にも似た思いに囚われていました。
丁度 読んでいた本があと少し、、、のところで停滞していて、イライラ(--;)
なら、途中で止めればいいのですが、最後までちゃんと一冊読み終わらないと気になるというヤヤコシイ性格でもある私は、ようやく 読み終えて、夕べから取り掛かりました。

この本。「テレーズ・デスケイルゥ」ご存知、モーリャックです。

この本を初めて読んだのは高校二年の時でした。
担当教諭が現国の先生で、いつも職員室ではなくて、図書館に居ました。
私はひどい肩こりを持つ生徒だったので、(今でもバリバリの肩こりですが)、先生に肩の按摩!!をして貰いに図書館に通っていました。・・・・・今ならセクハラって言いそうですが、先生はそれは親切にいつも嫌な顔一つせずに肩を叩いたりしてくれたものでした。
私は小さな頃から読書を生きがいにする少女だったので、図書館が大好きだったのね。
で、ある日見つけました「テレーズ・デスケイルゥ」・・・難解でよく判らなかった。。。
このテレーズという女の心もよく判らなかったし、まぁ~判るには子供すぎたのでした。

次にこの本を手に取ったのは かなり時が過ぎてから、本屋をブラブラしていた時でした。
あの時にカケラも理解出来なかった本を 今ならどう読むだろうか? という好奇心で買いました。
それが ↑の写真の文庫本です。かなり昔なので、今では表紙も所々黄ばんでいます。
何度もの引越しの時にも捨てられることなく ずっと本棚にありました。
何度か折に触れ読み返しました。今 読んでいるのが何度目になるのかなぁ~???

以前、大好きな遠藤周作さんの講演を聞きに行った時に 先生がこう仰っていました。
「一冊の本は出来たら三度読んで欲しい」と。一度目は買ったとき。それが青春時代なら尚良し。
二度目は 作者がその本を書いた歳。三度目は 人生の何たるかを経験して歳を経た時。
この「テレーズ・デスケイルゥ」を読む時 いつもこの先生の話を思い出します。

しかし、以前よりはずっとテレーズの心に寄り添う事が出来るようになったとはいえ、では この女の心の何たるかを知ることが出来たかというと まだまだ判らない、近づけない また判りたくないような気持ちにもなります。判るといえば、私の中にもこのような心が存在することを、肯定してしまう事になりはしないかと恐ろしいのかもしれませんが。。。
モーリャックはこの本の序詞で、シャルル・ボードレールの「巴里の憂鬱」の一節(神に対して、こう問いかけている一節。“そも怪物とは存在しうるものでしょうか?”)を引用してこう彼女に語りかけています。「多くの人々はお前が存在しないと言うであろう。しかし、私は知っている、お前が存在していることを。」と。

この生涯モーリャックがこだわり続けたという主人公のことを またぞろ思い出したのは、最近新聞やニュースで「毒殺未遂」という言葉を度々耳にし、目にするからです。
・・・・・相変わらず 単純な私(笑

今度はどんな感想をこの本に、この主人公に持つのでしょうか 私は。
この本を初めて手にした遠い遠い日とは また大きく違った印象を持つ事でしょう。
そして、私も「お前が存在していることを知っている」と胸のうちでつぶやくのでしょう。



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U3

 難解本大好きなので読んでみます。
by U3 (2005-11-07 18:58) 

珊瑚

私には「難解」だったというだけでして、、、(汗)

文体は美しくて、好きです。難解なのは彼女の心に入り込んでいく道が見つけられないこと。見つけられても進みたくない心。自分の。ね。
判ったように思ったり、また判らなくなったり。。。読むたびに違う印象なのが面白いです。是非 読んでください~
by 珊瑚 (2005-11-07 22:59) 

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テレーズという女 [ささやかな日常]

先日来、「この本を読まなくてはならない」という強迫観念にも似た思いに囚われていました。
丁度 読んでいた本があと少し、、、のところで停滞していて、イライラ(--;)
なら、途中で止めればいいのですが、最後までちゃんと一冊読み終わらないと気になるというヤヤコシイ性格でもある私は、ようやく 読み終えて、夕べから取り掛かりました。

この本。「テレーズ・デスケイルゥ」ご存知、モーリャックです。

この本を初めて読んだのは高校二年の時でした。
担当教諭が現国の先生で、いつも職員室ではなくて、図書館に居ました。
私はひどい肩こりを持つ生徒だったので、(今でもバリバリの肩こりですが)、先生に肩の按摩!!をして貰いに図書館に通っていました。・・・・・今ならセクハラって言いそうですが、先生はそれは親切にいつも嫌な顔一つせずに肩を叩いたりしてくれたものでした。
私は小さな頃から読書を生きがいにする少女だったので、図書館が大好きだったのね。
で、ある日見つけました「テレーズ・デスケイルゥ」・・・難解でよく判らなかった。。。
このテレーズという女の心もよく判らなかったし、まぁ~判るには子供すぎたのでした。

次にこの本を手に取ったのは かなり時が過ぎてから、本屋をブラブラしていた時でした。
あの時にカケラも理解出来なかった本を 今ならどう読むだろうか? という好奇心で買いました。
それが ↑の写真の文庫本です。かなり昔なので、今では表紙も所々黄ばんでいます。
何度もの引越しの時にも捨てられることなく ずっと本棚にありました。
何度か折に触れ読み返しました。今 読んでいるのが何度目になるのかなぁ~???

以前、大好きな遠藤周作さんの講演を聞きに行った時に 先生がこう仰っていました。
「一冊の本は出来たら三度読んで欲しい」と。一度目は買ったとき。それが青春時代なら尚良し。
二度目は 作者がその本を書いた歳。三度目は 人生の何たるかを経験して歳を経た時。
この「テレーズ・デスケイルゥ」を読む時 いつもこの先生の話を思い出します。

しかし、以前よりはずっとテレーズの心に寄り添う事が出来るようになったとはいえ、では この女の心の何たるかを知ることが出来たかというと まだまだ判らない、近づけない また判りたくないような気持ちにもなります。判るといえば、私の中にもこのような心が存在することを、肯定してしまう事になりはしないかと恐ろしいのかもしれませんが。。。
モーリャックはこの本の序詞で、シャルル・ボードレールの「巴里の憂鬱」の一節(神に対して、こう問いかけている一節。“そも怪物とは存在しうるものでしょうか?”)を引用してこう彼女に語りかけています。「多くの人々はお前が存在しないと言うであろう。しかし、私は知っている、お前が存在していることを。」と。

この生涯モーリャックがこだわり続けたという主人公のことを またぞろ思い出したのは、最近新聞やニュースで「毒殺未遂」という言葉を度々耳にし、目にするからです。
・・・・・相変わらず 単純な私(笑

今度はどんな感想をこの本に、この主人公に持つのでしょうか 私は。
この本を初めて手にした遠い遠い日とは また大きく違った印象を持つ事でしょう。
そして、私も「お前が存在していることを知っている」と胸のうちでつぶやくのでしょう。



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U3

 難解本大好きなので読んでみます。
by U3 (2005-11-07 18:58) 

珊瑚

私には「難解」だったというだけでして、、、(汗)

文体は美しくて、好きです。難解なのは彼女の心に入り込んでいく道が見つけられないこと。見つけられても進みたくない心。自分の。ね。
判ったように思ったり、また判らなくなったり。。。読むたびに違う印象なのが面白いです。是非 読んでください~
by 珊瑚 (2005-11-07 22:59) 

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